2019.04.30
三義、峠越え物語①
まめやのある村「三義(みよし)」は、山に囲まれている。
町に出るには、小豆坂トンネルを抜けて山を降りなければいけない。
でも、昔は、トンネルなんてなかったんだ。
隣に住む90歳の菊美ばあちゃんに、昔の話を聞いてみた。
「昔はトンネルがなかったから、歩いて山を越えたよ。峠道があったんだ。毎日、下駄を履いてね、おにぎり握って、町の高校まで通ったんだよ。一週間で下駄が擦り切れたものだよ。」
この話を聞いて、「すごい!行ってみたい!」と叫んでしまった私。
今年は、三義子供会の会長を務めるので、その峠道をぜひとも遠足で歩こうと、この時、固く決意したのである。今の小学生たちに、昔の人のすごさと大変さと知恵を伝えたい。
4/28(日)晴れ
有志のみんなと、馬も一緒に、遠足の下見。
まずは、おばあちゃんの歩いた道を辿ってみよう。
三義ー板山を結ぶ峠道だから、「板山峠」と呼ばれていたらしい。
「馬が通ったから、きれいな道だったよ」と。
山の奥にも、田んぼの跡があって、びっくり。
昔の人が作った水の道「井筋」も残ってる。
三義にたくさんの人が住んでいたんだろうなぁ。
みんなで苦労して開墾して自給していたんだろうなぁ。
タヌキの「ためグソ」発見。
タヌキは、糞をいっぱい溜めるらしい。
しかし、この後、道がなくなり・・・
「ここは道?田んぼの跡?」と迷い・・・
そうだよね。もう70年以上前の道だもんね。そのままであるはずがない。倒木もすごい。馬はここで断念して引き返すことに。
しかし、同行してくれていた地元のチエさんは、やっぱり心強い。先発隊となり、道を探してきてくれた。そして、なんとか頂上まで、辿り着くことができた。
頂上でお昼ご飯。菊美ばあちゃんも、こんな風に、おにぎりを頬張ったのだろうか。登下校中に。制服と下駄姿で。
しかし、この後、板山に下る道が分からず・・・
無念にも、同じ道を下山することに。
でも、帰り道は印を付けて、行きに迷ったところも正しい道が分かり、スタート地点に戻ることができた。よって、頂上までの道は確実に再現することができたといえる。
こんな道を毎日通ってたなんて、昔の人はスゴイ!
必ず、道を探り当てるぞ!
そして、三義の小学生全員を引き連れて、峠越えの遠足をするんだ!
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