昔ながらのかまど炊きと手絞りで大事に豆腐をつくっています。

2013.11.18

れんこんきんちゃく

昨日の夕飯の一品。れんこんをすりおろして、油揚げの中に詰めて煮ました。もっちりして美味しい!夫と子供たちから喚声が起こりました。

すりおろすのは、れんこんとにんじん。油揚げは、半分に切って、袋状にしておく。(袋状にする時、包丁で切れ目を入れながら、裂いて、最後にそっと手で開くといい。)フライパンに油をひいて、ネギを炒めて、すりおろしたれんこんとにんじん、片栗粉とちりめんじゃこを入れてさらに炒めて粘りを出す。(焦がさないように注意) 火が通ったら、油揚げの中に詰める。昆布と干ししいたけのだし汁と醤油、酒、みりんで味付け。

体を温める滋味深い味です。ごぼうを入れてもいいです。ぜひお試しください。

2013.11.14

家族の仕事

この哀愁漂う背中は、まめやの長男小2。平日の夜、薪ストーブの炊きつけを作るために、玄関の外で薪をナタで割っている。カーンカーンという甲高い音が、暗闇の中で響いている。(服が後ろ前)

長男は、今年も薪ストーブ担当になり、家の居間の暖をとるには欠かせない存在となっている。もはや、母の私のほうが、今年薪ストーブに触ってない。

その長男は、学校から帰ってくると、工場の中の炊きつけも作ってくれる。翌日使う焚きつけを割って、釜にセットしてくれるのだ。そして、いち早く家に帰り、夕飯を作ってくれる。なんでこんなにえらいのかと感心するが、私の口から出てくる言葉は、「なんでこんなに台所よごすの!片付けなさい!」・・・長男が寝る時に反省する毎日なのだ。

長女小3は、朝5時半に起きて、お父さんのいる工場に走って行く。そして、がんもを丸めるのを手伝ってくれる。7時になると急いで家に帰ってきて「今日は50個丸めたよ!」と息を切らしながら嬉しそうに話してくれる。朝ごはんを5分で駆け込んで食べて元気に学校に行く。こんなにえらいのに、日頃一番怒られるのは、長女なのだ。・・・かわいそうに。

私の子供の育て方には、反省ばかりが募り、決していいお母さんではない。もっとこんなお母さんになりたい、と常に思っている。けれどその中で、これだけは、子供にとってよかったと思えることがある。それは、「忙しいお母さん」だということだ。お母さんが忙しいから、子供がやらないと生活がまわらない、と子供が肌身で感じているのだ。毎日日が暮れても家に帰れないお母さんだから、薪ストーブはつけられない、ご飯も作れない、カーテンも閉められない、お風呂も入れてやれない、忙しくてどうしようもないお母さんだから、子供がなんとかしなくちゃって思っている。そうやって、子供は、必要に迫られて家族の仕事をしてくれるのだ。「やったからお小遣いちょうだい」の世界はここにはない。

もう一つ言うと、うちが貧乏だ、というのも、子供の成長にとっては良いことだと個人的に思う。・・が、話が長くなりすぎるのでやめておこう。とにかく、子供は恵まれすぎていないほうがいい、なんて勝手ながら思う。こうやって、自分の育て方を正当化して、全くひどい母親だ・・・反省しながら眠りにつく毎日である。

2013.11.08

おでんに餅きんちゃく

おでん

だいぶ寒くなってきました。毎朝、外気温が5度以下です。

寒くなると体を動かすのがおっくうになって、料理も面倒になって、でも、とにかくあったかいご飯を食べたい・・、これは「おでん」しかないでしょう。

厚揚げ、がんも、おでんに最適です。加えて、今年の冬は、まめやには油揚げがあります。油揚げは、年明けから発売したので、去年の今頃は、厚揚げとがんもしか入れなかったのです。となれば、餅きんちゃくを作ってみよう!と意気込んで、お餅を買ってきました。

お餅をサイコロ状に切って、中に詰めて、ゆでたほうれん草で結びました。ちょっと留めがあやしいので、つまようじも。こういうのは、子供が喜んでやる仕事です。穴があいてもいい、ほうれん草が切れてもいい、子供が楽しんでやることに意義があるのです。

豆腐屋の作るものは、おでんの実が3つもあることを発見して嬉しい私達。厚揚げ、がんも、餅きんちゃく。どれも、煮汁がよく染みこむとふんわりジューシーで美味しいです。煮汁に溶け込む油が良いからでしょう。ぜひまめやの揚げ3種でおでん、お試し下さい。

2013.11.02

愛すること 信ずること

ふと見ると、床にこの本が転がっていた。三浦綾子の「愛すること 信ずること」というエッセー本。三浦綾子の小説は、学生時代好きでよく読んだ。この本は、夫と結婚する時に、人から贈られた本。とても感銘を受けて、二人のバイブルにした、覚えがかすかにある。

それが、結婚10年目でこのありさまだ。本は、カバーがとれ、角がぐしゃぐしゃに折れ、子供の落書きまでしてあり、ほこりだらけで床に転がっている。(写真は、カバーを探し出してきれいに体裁を整えたもの) 散らかり放題の部屋の中で、時々床でご対面していたこの本、正直言って視界に入っていただけで、何か特別なことを思うことなどなかった。

ところが、先日、ふと目に入った時、自然と手が伸びた。夫とちょっとした喧嘩をした後だった。

そして吸い込まれるように三浦綾子の文章に入っていった。新婚の時読んだはずなのに、何一つ覚えていなかった。そして、喧嘩が発端で、「もう豆腐屋やめてやる!」くらいの荒々しい鼻息で、怒りの絶頂だった私は、三浦綾子の文章に心を打たれ、暗く冷たい地平線に朝日が温かに安らかに昇っていくように、暗い気持ちに希望の光が射し、心の平穏が訪れた。夫への怒りの炎が、全てを許し受け入れられる温かい灯火に変わった。むさぼり読み、涙が止まらなかった。読み終えたときには、全く別の人間に生まれ返ったかのようだった。

結局、私達夫婦の前に立ちはだかる苦難(ささいな喧嘩も含め)は、全て、私達夫婦の絆をより強くさせるためにあるものなのだ。たいてい苦難というものは、絆が弱まっている時にやってくる。けれど、そのおかげで、再び互いを見つめなおし、さらに強く深い関係になって再出発できる。そして、喧嘩なんぞしないで力を合わせて豆腐屋業を営みなさい、とどこかで誰かが背中を押してくれる。豆腐は、私達夫婦という他人同士が一緒になって作る共同作品なのだから。

今、私達は新たな局面を迎えている。折り悪しく、長く勤めてくれた二人のスタッフが都合でやめてしまったからだ。尋常でない忙しさで、睡眠時間も食事時間もろくにとれない。でも、こういう時にこそ、夫婦の原点に、豆腐屋の原点に立ち返り、力を合わせて乗り越えていく時なのだと思う。初心忘れるべからず、精進してまいります。